人間復興の先進地 きせき3・11⑨

【第2部 生きがいを再び】

元気な声 響く日々を


 明年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、震災時、保育士で、その後も読み聞かせのボランティアを続ける宮城県気仙沼市の中嶋美紀子さん。

なかじま・みきこ  宮城県気仙沼市在住 婦人部副本部長

 「さあ、今月はどんなお話かな?」――絵本を広げると、前列に座っていた児童の顔がほころんだ。小学校の教室で開かれた「小さなおはなし会」の一こま。子どもたちの無邪気な笑顔に、これまでの歳月を思い、幸せをかみ締める――。


 大きな揺れが起きた時、市民会館で会議中だった。津波が来ると直感し、山道を通って保育所へ急いだ。着いた頃には、大半の園児はすでに保護者が連れ帰り、残っていた数人の園児たちと高台へ向かった。押し寄せた巨大津波は地域をのみ込んだ。


 その後、避難した中学校でいくつもの悲しい知らせを聞いた。


 保育所の園児の一人が、自宅に避難した後、犠牲になった。家族が迎えに来ない園児がいたが、その母親が津波で亡くなったという知らせも届いた。


 3月下旬の退所式を目指し、お別れの言葉や歌の練習を一生懸命してきた園児たちを思うと、胸が張り裂けそうだった。


 震災から3日後、がれきを越えて自宅のあった場所へ行った。家はなかった。


 それでも落ち込んではいられなかった。


 避難所となった中学校には1000人近くが身を寄せている。大人が安否確認などで出払い、残される子どもも多い。少しでも役に立ちたいとキッズルームをつくった。絵本を持ち寄り、読み聞かせを始めると、子どもたちの表情が輝いていった。

読み聞かせをする中嶋さん

 子どもたちの姿は、周囲の大人たちに希望を送った。そんな光景を見つめながら、池田先生の言葉をかみ締めた。


 「にぎやかな子どもの声があるところ、そこには『希望』がある。『平和』がある。『生きる喜び』がわいてくる」


 震災の中で、師の言葉が、より強くより深く心に響いた。そして自身の使命に思いをはせた。


 中嶋さんは高校卒業後、岐阜県の短大へ進学。当時、人前に出ると体が震える対人恐怖症に悩んでいた。東京の保育園に就職したが、〝壁〟にぶつかり1年ほどで気仙沼市に帰郷。自分なんて駄目だ……。将来に希望を見いだせなかった。


 そんな時、信心していた母から仏法の話を聞いた。23歳で入会。池田先生の著作に衝撃を受けた。深遠な生命哲学、明快な宿命転換論に希望が湧いた。そして師の教育に懸ける思い、子どもの可能性を信じ抜く心を知り、胸が熱くなった。


 〝私も教育者の人生を精いっぱい歩み抜こう〟と、再び保育の道を踏みだした。


 震災によって、かつての原点が鮮明によみがえり、使命を果たしゆく誓いは深くなった。

 退所式が行えず、つらい思いをした〝あの子たち〟を見守っていこうと決意した。皆が進学した小学校を訪問し、励まし続けた。子どもたちはそんな〝先生〟の姿をじっと見ていた。

放課後学習支援も行う中嶋さんには児童・生徒から多くの感謝の文集や色紙が寄せられる

 震災から2年後の3月、保育所の所長として退職を迎えた。その直前に〝あの子たち〟が文集を届けてくれた。タイトルは「中じま先生へ」。そこには、保育所の思い出や感謝の思いがつづられていた。


 さらに4年後、小学校6年生になった同じ子どもたちが、中嶋さんが手伝う「小さなおはなし会」に集った。そして保育所の退所式で予定していた思い出の曲を皆で合唱した。立派に成長した姿。教室に響く元気な歌声。感動が会場を包んだ。


――「また絵本読んでね!」。読み聞かせの会場で子どもたちの元気な声が飛ぶ。


 今の子どもたちは震災を知らない。だが、気仙沼の全ての人に生きる喜びを送り、復興の未来をつくってくれる宝の存在だと思う。これからも、子どもたちのにぎやかな声が響く日々をつくりたい。そう決意する。

団地部の県女性部長として友の激励に駆ける

(聖教新聞 2020年12月18日付)