人間復興の先進地 きせき3・11⑧

【第2部 生きがいを再び】

出会いを力に 誰かのために


 明年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、原発事故で県外避難を余儀なくされ、今は郡山市で暮らしている志賀恭子さん。

しが・きょうこ  福島県郡山市在住 婦人部副本部長

 大震災で、わが心も揺らいだ。どこで、どう生きればいいのか。それでも「今」を力強く歩んできた。その中で少しずつ、〝自分らしさ〟が見えてきた。


 発災時は福島第一原子力発電所にいた。関連会社の社員だった。免震棟に移り、数時間後、歩いて双葉町の自宅に向かった。


 家には高齢の母がいた。共に避難所を転々とし、4日後に東京の親類宅へ。翌月、足立区の都営住宅に入った。


 双葉町では畑仕事に精を出していた母が、避難生活の中で体調を崩し、介護が必要になった。利用する施設で母は「寂しい」と、つぶやいた。知り合いもいない。畑の土にも触れない。そんな思いを感じた。肺炎を患った母は、震災2年後に亡くなった。


 母中心に回っていた東京での生活。大変だったが、だからこそ無我夢中で「今」を生きられた。母の亡き後「柱がなくなった」。同じ頃、支部婦人部長の打診があった。


 志賀さんが入会した当初、家族は未入会だったが、母は応援してくれた。遠方での会合の際は費用を工面。自転車で学会活動に励む志賀さんのためにバイクを貸してくれた。そんな母がいたからこそ、池田先生との多くの出会いを刻むことができた。


 小説『新・人間革命』「福光」の章に描かれた、福島青年部「3・16記念集会」。1976年10月に行われた、創価大学通信教育部の第1回秋期スクーリング。

〝創大通教生〟として、世界の友と交流した思い出の写真

 〝広布に生きる自分を母はきっと応援してくれる〟。志賀さんは東京で、支部婦人部長の任を受けた。


 震災時は双葉支部の婦人部長だった。東京でも、目の届く所に同志との思い出の写真を置いて、広布に奔走した。フェニックス大会で同志と再会する。聖教新聞で福島の友の姿を見る。そのたびに、発災直後の混乱の中、連絡すらできないまま離れ離れになった同志への思いが、強くなった。


 2016年3月、郡山市の復興公営住宅に移った。


 福島に戻る前から、県内避難をする婦人部の同志と連絡を取り、語り合ってきた。「また双葉支部の友を訪問しよう」と。転居後、その同志を病魔が襲い、2年前に霊山へ旅立った。時間がたつほどに〝双葉時代〟を分かち合える仲間が少なくなっていく。そうした時に開く聖教新聞に何度も励まされた。


 「心の財」――池田先生の言葉に触れては祈った。別れの寂しさは消えない。でも、祈りの中で浮かんできたのは、同志と学会活動に励んだ〝金の思い出〟だった。心の置き所が、一人一人と出会えたことへの感謝に移っていく。「これが、心の財なのかなって思うんです」。たくさんの出会いに支えられ、今の自分がいる。〝次は自分が誰かのために〟。それが信心で培った生き方だと思った。


 学会活動に加え、新たな挑戦を始めた。高齢者や障がい者など災害時に支援が必要な人への応対を学び、昨春「防災介助士」の認定を受けた。避難と母の介護。この経験を生かしたかった。

防災介助士の認定状

 双葉町の自宅は、除染廃棄物などの中間貯蔵施設が整備される地域にある。家も土地も自身の手から離れ、志賀さんの「帰る場所」がなくなった。一方で、心の中には、潮風を感じながら過ごした故郷での記憶が刻まれている。志賀さんは、それを大切にしている。


 明年に開催が予定されている東京五輪の、聖火ランナーに応募した。小学生時代のマラソンの思い出をつづった。サポートランナーとして、双葉町を走ることが決まった。「走る姿で、いつも支えてくださる先生に、同志に、恩返しをしたくて」。聖火リレーが予定されているのは、明年3月。震災10年の節目、志賀さんは福島復興に伴走する。

東京五輪の延期前、双葉町を走る聖火リレーで着る予定だった上着

(聖教新聞 2020年12月11日付)