人間復興の先進地 きせき3・11⑦

【第2部 生きがいを再び】

励ましの人生 新たに


 明年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、震災後に入会し、再建した自宅を広布の会場に提供する岩手県宮古市の中澤髙義さん。

なかざわ・たかよし  岩手県宮古市在住 ブロック黄金長

 〝独りでいる方が楽でいい〟――そう思っていた。だが、未曽有の震災を経て、その考えは大きく変わった。


 あの日、自宅で突然激しい揺れに襲われ、車で高台へ避難した。その後、巨大津波は街を丸ごとのみ込んだ。小学校教員の妻は、児童と一緒に逃げて無事だった。


 翌日、がれきをかき分けて自宅のあった場所へ向かった。骨組みだけになった無残な家を見て愕然とした。


 長年、大工の仕事をしてきた。何棟もの家を手掛けた。顧客の幸せそうな顔を見るのがうれしかった。家は単なる建物ではない。家族の絆を育み、強める大切な空間。そんな思いを胸に、丁寧な仕事に徹した。


 いつか、自分も立派な家を建て、妻と二人で穏やかな日々を送りたい――懸命に働き、新築のめどを立てた。間取りを熟慮し、壁紙や建具、コンセントの位置など隅々までこだわった。45歳になった2000年、1年の月日を掛けた2階建てのマイホームが完成した。自慢の家になった。


 その後、腰を痛めて53歳で仕事を退職し、独りで家の中にいることが多くなった。理想の家で過ごす時間は心地よかった。そんな時に震災が起きた。


 家に思い入れがあった分、喪失感も大きかった。避難所で肩を落としていると、妻に励まされた。「大丈夫。信心があるから」


 意味は分からなかったが、なんだか心強かった。妻の姿には、これまでも何度も感心してきた――。


 縁あって40歳で結婚。妻は学会員だったが、自分は宗教には無関心だった。


 それでも、人のことを第一に考える妻の姿に、ぼんやりと〝いい宗教なんだろう〟と思っていた。


 妻は小学校教員として、いつでも真剣勝負で児童と向き合っていた。休みの日には、はつらつと学会活動に出掛けていく。


 震災後も、その姿勢は変わらなかった。


 避難所となった小学校で、子どもたちや避難者にとことん寄り添い、教員の仕事もこなした。文字通り、不眠不休だった。


 同じように人のために心を尽くす人たちがいた。地域の学会員だった。

自宅に避難させてくれた故・鳥居英司さん㊧と。感謝の思いが前進の力に(2017年5月に撮影)

 震災から2日後、避難所の駐車場で寝泊まりしていると、近所に住む年配の学会員夫妻が自宅に招いてくれた。2週間滞在した。自分たちに心を寄せてくれる夫妻の温かさに感動した。


 感謝の思いから、その夫妻が会合に行く時に送迎を買って出た。次第に自分も会合に参加するようになった。そこで目にした学会のメンバーの生き方に驚いた。池田先生の指導を学び、体験を発表し合う。その中には、必ず決意があった。


 「俺も信心するよ」――2017年1月、中澤さんは、自ら学会に入会した。


 震災から6年近く、学会員の姿をじっと見てきた。日を重ねるほどに〝皆の輪の中に入りたい〟との思いが増していった。


 入会の数カ月前、以前と同じ場所に自宅を再建したが、それも「学会の皆さんのお力になれれば」との思いだった。


 新しい家のこだわりは「広布の会場に提供できる家」。前の家より小さな平屋だが、仏間は倍の広さにした。

再建した自宅で座談会を開く

 入会から4年。今、ブロック黄金長として広布の舞台を走る。座談会や本部幹部会の中継行事は皆勤賞。妻ほどとはいかないが、対話や家庭訪問にも挑戦している。


 かつては〝独りでいる方が楽でいい〟と思っていたが、今は違う。自宅に集う同志の笑顔を見ると幸せを感じる。同志の絆を強める今の家は、以前の家よりも思い入れが深い。

妻・かく子さん㊧と地域を歩く中澤さん

 妻が頑張る理由も分かってきた。「創価家族の一員として〝励ましの人生〟を歩む。それが私の生きがいになりました」


(聖教新聞 2020年12月4日付)