人間復興の先進地 きせき3・11⑥

【第1部 命みつめて】

感謝の心で希望を紡ぐ


 明年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、震災で娘を失いながら、不屈の心で前進してきた宮城県・亘理町の鈴木里美さん。

すずき・さとみ   宮城県・亘理町在住 地区婦人部長

 震災の前から変わらない朝のリズムがある。早朝に起床。内装職人の夫に持たせる弁当を作った後、勤行する。そして朝食を済ませ、勤務先の美容室へ出掛ける――。


 2011年3月11日も、そうだった。だがその日の朝は、特別だった。


 高校を卒業して3年の娘が、ようやく就職を勝ち取り、初出勤する日だった。期待と不安に胸を膨らませる娘に、エールを送る思いで弁当を作った。出勤は鈴木さんの方が早い。出掛けに声を掛けた。


 「無事故でね」


 「うん、ありがとう」


 それが最後の言葉になった。


 午後2時46分。美容室で激震に見舞われた。夫と息子たちは美容室に来たが、娘と連絡が取れない。娘は家族を心配して職場から車で海に近い自宅に向かったという。のんびり屋で車の運転免許は取りたて。心配が募る。避難所を連日探したが、見つからない。やがて、流失した自宅から数百メートル離れた付近で、娘の車だけが発見された。


 娘の行方が分からないまま5月になり、亘理町に隣接する、角田市の応急仮設住宅へ移った。その頃から、それまで御本尊に向かうことのなかった夫が勤行を始めた。時を同じくして、娘が見つかった。


 現実を受け止められない中、店主に誘われ、美容室の仕事を再開した。朝のリズムも以前に戻った。一つだけ違うことがあった。夫が一緒に勤行をするようになった。

夫・義孝さんと一緒に勤行する里美さん㊧

 娘を思い、夫妻で題目を唱える。後ろに座り唱題する夫が、自分を支えてくれているように感じた。


 外では周りに心配を掛けないために、努めて笑顔をつくる。気を張る日々の中で、夫との毎朝の勤行は、心を整えてくれる大切な時間になった。


 笑顔をつくっていたのは、自分のためでもあった。笑顔でいることで、娘を失った喪失感に抗った。その中で、自然と笑顔になれる時間があった。学会の同志と一緒にいる時だった。


 「何か困っていることはない?」――仮設住宅に、地元の友がまめに来てくれた。周囲の住民と協力して、生活に必要なものを集めてくれたこともある。その優しさが、少しずつ心の痛みを癒やしてくれた。

職場の美容室で、笑顔で働く里美さん㊧

 ある日、美容室に常連の婦人が来店した。目に涙を浮かべている。結婚を控えていた息子を津波で亡くしたという。「実は、私も娘を……」。悲しみを分かち合い、それでも生きていこう、と笑顔を向けた。婦人は静かにうなずいた。


 同志の真心に包まれ、毎日を懸命に生きるうち、自然と人を励ませる自分になれていた。そう気付いた時、ふと思った。


 〝どんなに苦しい時でも、私は祈れる。同志がいる。学会員で本当によかった〟


 あふれる感謝の思いが、生きる希望になった。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)」――女子部時代から心に刻んできた一節をかみ締める。ああ、その通りだ……そう思いを深め、手元に置いた小説『新・人間革命』の切り抜きに目を落とした。「人間の真価は、最も大変な苦しい時に、どう生きたかによって決まります」


 どう生きるか。迷いはなかった。


 4年前の春、亘理町に造成された集団移転地に転居した。娘と共に生きた町で、人を励ます人生を歩む――その決意を胸に、翌年、地区婦人部長になった。地区には被災を経験した同志も少なくない。苦楽を共にした友と今、地域広布に笑顔で駆ける。

災害公営住宅に暮らす友を訪ねて

 震災から10年になろうとしている。今でも娘の存在を確かに感じる。〝きっとまた一緒に生まれ合わせるよね。それまで、ここでうんと福運を積んでおくからね――〟


(聖教新聞 2020年11月13日付)