人間復興の先進地 きせき3・11④

【第1部 命みつめて】

待っていてくれた場所で


 明年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、津波で妻を失った悲しみと戦ってきた、岩手県陸前高田市の熊谷昌幸さん。

くまがい・まさゆき 岩手県陸前高田市在住 ブロック黄金長

 災害公営住宅の一室。台所で一人、立ったまま料理を口に運ぶ。「うまい!」。殺風景な部屋は、声がよく響く。そんな当たり前の日常の中で、妻を思い出す――。


 商船の乗組員で、1年の大半を海の上で過ごした。あの日も船に乗っていた。三重県沖を航海中、東北で大きな地震があったと無線が伝えた。うちは大丈夫だろうと高をくくっていると、神奈川にいる娘から、着信が入った。


 「お母さんにつながらないの……」


 次の寄港先で下船し、陸前高田に急いだ。数日後、対面した妻は棺の中に入っていた。言葉が出ず、涙だけがこぼれた。


 慌ただしく葬儀が行われた。現実を直視できず、仕事に没頭しようと努めた。家も流され、神奈川の娘たちのもとに身を寄せた。妻の話題は意図的に避けた。


 震災から2年後、定年退職で船を下りると、行く末に悩んだ。陸前高田にはもう、家が無い。このまま娘たちのそばにいるべきか。ついのすみかを模索し、御本尊に向かう中、脳裏に浮かんだのは、航海から戻るたびに見た妻の笑顔だった。


 26歳の時、知人の紹介で結婚した。妻の飾らない人柄のおかげで、何でも言い合える関係になれた。だから、「一緒に信心しよう」とも、素直に話せた。


 結婚後に入会した妻は、同志の輪の中で真面目に信心に励んだ。本棚には学会の書籍が増え、妻は熱心に池田先生のことを語るようになった。いつしか自分が信心を教えられる側になっていた。


 「皆さんに恩返しがしたいね」


 妻の口癖だった。地区婦人部長として、本紙の配達員として、地域広布に走り抜いてきた。皆に慕われたその笑顔に、何度も励まされた。


 一方で、自分は……。ほとんど家にいないばかりか、たまに帰れば飲み歩き、つぶれるまで酒をあおる始末。それでも妻は、無事を祈り、帰りを待っていてくれた。


 「俺、『ありがとう』も言えてない」


 妻が大好きだった聖教新聞を開いた。答えを求めてむさぼり読むと、池田先生の言葉が自分に言われているように思えた。


 「涙も涸れるような悲嘆の中で、自分だけではない、自分は一人ではないと、周りに目を向ける。『同苦』――それは、人間の最も強い生命の絆に気づかせ、蘇らせてくれる。苦しみを共にする。そこから、共に立ち上がる力が生まれるのだ」


 祈り抜いた末、陸前高田に帰ると決めた。妻が最期まで待っていてくれた場所。そこで広布に走りたい。信心をど真ん中に据えて、池田先生が喜んでくださる道を歩もう。それが妻への恩返し。そう思った。

同志との語らいは心の栄養

 2013年に仮設住宅へ入り、17年には高台に新設された災害公営住宅に移った。行く先々で出会った友の多くが、震災で心に傷を負っていた。そんな時は、自分から声を掛けた。野菜を分け合うなど、何気ない交流を重ね、心を通わせた。


 ある時、肉親を亡くした人と出会った。「実は、俺も……」。励ましたいとの思いから、妻の話を打ち明けた。話す中で〝一緒に乗り越えよう〟との決意が、互いの心に芽生えた。池田先生の指導を見せながら、今も仏法対話を重ねている。

復興が進む故郷で無冠の使命に燃えて

 本紙の配達も率先して引き受けた。酒を断ち、2年前、ブロック黄金長に就任。同志の激励に奔走する。

男の1人暮らし

――男の1人暮らし。今も炊事をしていると、寂しさが込み上げてくる。それでも、学会活動で得た充実感を胸に、顔を上げる。世界広布の道は、いつも妻と一緒に歩んでいる――そう実感し、心の中で、こうつぶやく。


 「えつ子、いつもありがとう!」


(聖教新聞 2020年10月23日付)