人間復興の先進地 きせき3・11⑬

【第3部 希望の未来へ】

私らしく咲いていいんだ


 本年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、原発事故による避難生活の葛藤を“夢の糧”へと転じてきた、福島県いわき市の新妻萌々花さん。

にいつま・ももか  福島県いわき市在住 高校3年

 自宅の庭先ですくすくと育つハナモモ。新妻さんが生まれた時に、祖母が記念に植えてくれた。3月になれば、奥の人々に愛でられるその花のように、周囲にはいつも友達がいて、笑顔があふれていた。だがそれは、8歳の誕生日に一変する。福島第一原発3号機で水素爆発が起きた。


 いわき市から母の実家がある埼玉県に自主避難。近隣も温かく、学会の同志は、手編みのセーターや給食袋などをそろえてくれた。翌年、父の仕事の都合で、静岡県へ引っ越すことが決まった。転校を知った埼玉の何人ものクラスメートが「ずっと友達だよ」と、かわいい柄付きの鉛筆をプレゼントしてくれた。“これからもきっと楽しくできる”。そう信じていた。

新妻さん㊧は「お母さん(美香さん)と話すことが元気の源」

 だが、小学4年の1学期は“つまずき”から始まった。事前の説明とは違い、授業では所定の筆記用具しか認めてもらえなかった。ペンケースを出せば、担任から「それはだめ」。鉛筆を出しても「それはだめ」。消しゴムも定規も下敷きも「全部だめ」。理由も分からず同級生から冷たい視線を浴びた。今までの自分を否定されているようで、持ち物は全て引き出しの中に隠した。環境に溶け込もうと焦るほどに気持ちが追い付かなくなった。就寝前、翌朝の登校を思うと胸が締め付けられ、眠れない日々が。いつしか、急に耳が聞こえづらくなり、突発性難聴と診断された。


 学校に通えなくなった新妻さんが唯一心を開ける場所。それが母と参加してきた学会の会合だった。「よく来たね」――無条件で受け入れてくれる“学会のおばあちゃんたち”の真心に胸が温かくなった。会場では、御本尊の前に目標を記した御祈念板が置かれ、皆で真剣に題目を上げていた。新妻さんも夢を書いてみた。「強くなる」。毎日、欠かさず祈るようになった。その後、転機が訪れた。スクールカウンセラーとの出会いだ。自分の趣味の話に、じっと耳を傾けてくれた。その時間が楽しくて、毎週、カウンセラーが来校する時だけは、学校に足が向いた。

小学生の時、新妻さんがしたためた御祈念板

 小学6年の時、いわき市に戻った。そのまま中学校に進んだが、部活動の先輩や教師に注意されると、静岡の小学校での記憶が疼き出し、登校できなくなることも。それでも、祈りで心を奮い立たせ、中学3年の時、ある決意をした。それは、秋に行われる校内合唱コンクールでのピアノ伴奏。担任にもクラスメートにも驚かれたが、皆、快く応援してくれた。その思いに応えたい一心で3カ月間の練習に励んだ。迎えた本番は大成功。新妻さんは「伴奏者賞」に輝いた。何よりうれしかったのは「友達と初めて一つの目標をやり遂げられたこと」。この体験が自信となり、諦めかけていた高校に進んだ。


 定時制高校で過ごした3年間は、ほぼ皆勤賞だった。首都圏の高校生とのキャリア支援プログラムにも出掛けるなど、今できる精いっぱいの挑戦を続ける中で、夢を見つけた。かつて自分がそうしてもらったように、相手の心に寄り添える心理カウンセラーになることだ。猛勉強の末、今春、医療創生大学の心理学部に進学する。「こんな私でも夢を見られるんだ。お母さんや学会のおばあちゃんたちが言う通り、“冬は本当に春になるんだ”って思いました」

小学校の卒業文集で両親から贈られた「桜梅桃李」のメッセージ

 いつも傍らで見守ってくれた母は、新妻さんが通う高校のPTA会長。一足早く卒業文集への寄稿をのぞくと、「桜梅桃李」との言葉が。思い返せば、小学校の卒業文集にも母は同じ4文字を記し、「萌々花は萌々花のままでいいんだよ」と、励まし続けてくれた。“そんなお母さんの子どもで良かった。これからも私らしい花を咲かせていこう”。今、心からそう思える。


 まもなく庭先のハナモモが咲くだろう。その後には、桜花爛漫のキャンパスが、新妻さんの入学を待っている。


(聖教新聞 2021年2月19日付)