人間復興の先進地 きせき3・11⑫

【第3部 希望の未来へ】

信心に出あい夢を持てた


 本年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、故郷の宮城県・山元町で被災し、震災後に入会した名取市の柳田博之さん。

やなぎだ・ひろゆき  宮城県名取市在住 男子部部長

 小さな頃から東京に憧れていた。親に反対され、高校卒業後は派遣社員として地元の工場に就職した。〝東京に行けば、もっと自由に……〟。そんな思いが募っていた23歳の3月、震災が起きた。


 夜勤明けの自宅で激震に見舞われた。母の車で高台に避難した。家族は無事だったが、自宅は津波で全壊。愛車や思い出の品々も全て流された。


 失うものは何もない――そんな気持ちが背中を押した。その年の夏、親の心配をよそに東京へ出た。


 東京では靴の修理店に勤務した。やりがいはあったが、職場とアパートを往復するだけの単調な日々が続いた。


 3年半が過ぎた頃、母から「元気が出るから、聖教新聞を読んでごらん」と電話で言われた。以前から学会員だった両親は、震災後に同志に励まされ発心していた。

母・英子さん㊨と語らう

 〝親が信仰する分には〟と思っていたが、同僚からも仏法の話を聞いた。信仰体験に説得力があった。2015年8月、〝親も喜ぶなら〟と入会した。


 ちょうど環境を変えたいと飲食チェーン店に転職したタイミングでもあった。


 懸命に働いた。半年後には店長を任された。だが、それが苦難の始まりだった。売り上げのノルマに、シフトの穴埋め。重圧から休みを取れず、働きづめの日々。ある日、店で倒れた。うつ病と診断された。


 「帰っておいで」。母は優しく言ってくれた。葛藤した。反対を押し切って出てきたのに、このまま帰っていいのか。一方で、被災地のことをテレビで目にするたびに抱いた、復興のために何もしていない後ろめたさもあった。


 ふと故郷への懐かしさが込み上げた。雄大な海。うるさいほど気に掛けてくれる顔なじみたち。温かい気持ちが満ちてきた。


 地元でやり直そう――荷物をまとめて夜行バスで、名取市に移った実家に戻った。


 仏前に座り、経机の紙に目が留まった。


 「博之が宿命転換できますように」


 母の字を見て、熱いものが込み上げた。


 帰郷を知り、男子部の先輩がすぐに訪ねてきた。「就職先がなくて」と言うと一緒に題目を上げてくれた。

信頼する男子部の同志と

 誘われて参加した男子部の会合はとにかく楽しかった。悩みがある人も、隠すどころかそれを語り、乗り越えようと挑戦している。自分もそうなりたいと思った。


 ほどなく製麺所に就職が決まった。不規則勤務の中でも、会合に駆け付け、先輩と訪問・激励に走った。


 ある日の会合で「難こそ誉れ」との池田先生の言葉を知った。衝撃だった。被災、病気、離職――それまで苦難は不幸だと思っていた。だが苦難は人を強く、深く、大きくする。そう学び、人生観が変わった。


 2年前、母に大病が見つかった。〝今度は自分が支えてみせる〟と強く祈った。仏法対話に挑戦し、初の弘教が実った。母の手術は無事に成功した。


 学会の中で生き方が変わり、一昨年、新たな一歩を踏みだした。人の笑顔が見える仕事がしたい。苦しんだ自分だから、心の痛みを知った自分だからできることがあるはずだ。祈り考え、介護の道に進んだ。

笑顔を絶やさず、誠実な行動を心掛ける柳田さん

 もう一つ、始めたことがある。昨年、小学校の同級生のLINEグループを立ち上げた。3日間で全員が登録してくれた。震災後、集まっていない。コロナ禍が収束したら、10年ぶりに会おうと約束している。


 この10年、さまざまなことがあった。その全てに意味があると思える。今の夢は、介護の仕事で故郷に貢献すること。それが復興の未来につながると信じている。その夢に思いを馳せると、わくわくする。


(聖教新聞 2021年2月5日付)