人間復興の先進地 きせき3・11②

【第1部 命みつめて】

ずっと、題目で結ばれている


 明年3月11日、東日本大震災から10年になる。池田先生は、被災地の同志の歩みを「奇跡」のドラマとたたえた。「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。今回は、妻を失った悲しみの中で前を向いた、仙台市宮城野区の阿部喜一さん。

あべ・きいち 仙台市宮城野区在住副本部長(支部長兼任)

 うねるような大きな揺れが収まった後、急いで車を走らせた。仕事で来た県南の白石から仙台まで、信号機の止まった国道は大渋滞。ラジオから津波の惨状が絶え間なく聞こえる。妻と連絡が取れない。無事でいてほしい。それだけを願っていた――。


 深夜、ようやく自宅アパートのあった蒲生方面に着いた。警察の規制で近くへ行けない。翌朝、変わり果てた景色を見てがくぜんとした。浸水した自宅からは、かつて妻に贈った指輪が見つかった。どこかで生きていてほしい。毎日妻を捜した。3週間後、知らせを受けて遺体安置所へ行った。きれいな顔をして、妻は横たわっていた。

妻・正子さんと孫たち。「震災後に生まれた孫娘が、口ぶりまで妻と似ていて」と阿部さん

 専門学校時代に出会い、結婚を考えた。彼女の両親から大反対された。その頃、仏法に巡り合った。「絶対に変わる」。知人の言葉が希望になった。彼女も自分を信じて学会に入会してくれた。彼女を必ず幸せにしてみせると毎日祈った。


 ほどなくして結婚を認められ、2人の子宝に恵まれた。仕事ではオフィスコンピューターの販売で全国2位になった。勢いに乗り、2004年、友人が起こした会社に参画。だが行き詰まり、4年で失職した。


 その後、大不況下の就職活動。妻は「大丈夫」と祈り続けてくれた。その真心を支えに次々と履歴書を送った。108社目に出した会社に採用された。妻は最高の笑顔を見せてくれた。

日々の唱題が不屈の力

 幸せにすると言ったのに、苦労ばかり掛けて……。仏壇の前で肩を震わせた。


 聖教新聞を手にしても文字が頭に入ってこない。被災した職場の片付けや生活の再建など目まぐるしい日々が過ぎていく。それでも心の痛みは癒えない。


 震災直後に寄せられた池田先生のメッセージを抱き締めるように仏壇に向かった。


 「生命は永遠であり、生死を超えて題目で結ばれています」


 その言葉を信じて、祈るしかなかった。


 9月1日の朝、聖教新聞を開く手が止まった。小説『新・人間革命』が目に飛び込んできた。タイトルは「福光」――。


 「君よ! 『悲哀』を『勇気』に変えるのだ。『宿命』を『使命』に転ずるのだ」


 東北に寄せる師の心に胸が熱くなった。その日から、小説を読み、祈る日々が続いた。震災に負けたくないと、懸命に祈った。寂しさはなくならない。だが決意は強くなっていった。


 年が明けると、かつての居住地を含む地域の支部長をできないかと話があった。迷いなく、引き受けた。

同志と支え合い

 被災した同志の話に耳を傾け、一人一人の幸福を真剣に祈った。しぼんだ心が、少しずつ広がっていく。ある日、同志に笑顔で声を掛けられた。「あんたの姿を見てると、俺も頑張んなきゃと思って」


 苦しんだ自分だからこそ、励ませる人がいる。負けていられないとの決意がさらに深まった。そして祈った。友のために、前へ進むために、とにかく祈った。


 来る日も来る日も題目を上げ続ける中、妻の祈る姿を思い起こした。苦境の時、いつも「大丈夫」と祈ってくれた。自分の心の中にある妻の優しさは永遠に消えない。自分たちは、題目で結ばれている。その実感が力をくれた。


 震災後の変化の中で仕事は転々とした。どの職場でも真剣勝負で働いた。この春には、携帯電話の基地局を設置する会社に転職。コロナ禍の中で好成績を残し、即戦力として新たなプロジェクトを任せられることになった。

形見の指輪。一緒に見つかった創価班バッジと一つに

――自宅の仏前には形見となった指輪が大切に置いてある。妻はきょうも背中を押してくれている。そう信じて、阿部さんは使命の道を力強く歩む。


(聖教新聞 2020年9月18日付)