人間復興の先進地 きせき3・11①

【第1部 命みつめて】

だから、私も誰かのために


 明年3月11日、東日本大震災から10年になる。胸が張り裂けるような惨状の中、被災地の同志は震災と向き合い、それぞれの福光の道を歩んできた。池田先生はその一人一人の歩みを、自分にしかなし得ない「奇跡」のドラマとたたえた。新連載「きせき3・11」では、人間復興の先進地と輝く東北の同志の「軌跡」をつづる。第1回は震災で最愛の夫を失った、岩手県・山田町の佐々木ウメさん。

ささき・うめ 岩手県・山田町在住。宮古太陽県・境田支部。地区副婦人部長。

 毎月11日になると、飾り棚の腕時計に語り掛ける。


 「お父さん、みんな元気で頑張っていますよ」


 震災の1週間前に夫が購入した時計は、今も時を刻んでいる。9年半で大きく成長した孫たちの姿を見たら、泣いて喜ぶに違いない。ゆっくりと動く秒針が、夫のぬくもりを思い出させてくれる。

夫・賢吾さんの腕時計

 あの日、定置網漁の漁師だった夫は、船を沖に出すために海へ向かった。日が暮れた頃、行方不明と知らされた。〝生きていて〟との願いは、日を重ねるごとに〝せめて見つかって〟という思いに変わっていった。震災から9日目。呼ばれて駆け付けた墓地の敷地に遺体の収納袋が並べられていた。夫は眠るように横たわっていた。


 「お父さん……」


 震える声で呼び掛けた。


 山田町の被害は大きかった。娘の家も流された。息子と住む高台の自宅に、娘と3人の孫を迎えた。幼い孫たちの無邪気さが心を癒やしてくれた。


 3年後、娘が再婚して家を出た。一人になる時間が増えた。夫の死と静かに向き合うようになり、抑えていた感情が顔をのぞかせる。遺影を見ると涙があふれた。


 「お父さんは、私が悲しんでる顔なんか見たくないよね」


 そう言って仏壇に向かうと「くよくよするな」と夫の声が聞こえる気がした。仏壇は夫が残してくれたものだった。

夫・賢吾さんと対話する思いで仏壇に向かう

 「仏壇、買いに行くぞ」


 信心に反対していた夫がそう言ったのは、震災の5年前のこと。その年、佐々木さんの子宮と卵巣にがんが見つかった。死の恐怖と闘うように題目を上げ、手術と抗がん剤治療に臨んだ。半年間の入院生活に耐え、退院した直後の夫の言葉だった。


 仏壇を選んでくれる夫の横顔は忘れられない。闘病中の自分へ、口数の少ない夫からの最高のエールだった。


 亡き夫と対話する思いで、その仏壇に毎日向かった。悲しみが消える日が来るかは分からない。ただひたぶるに祈った。


 苦しい日々の中、いつも側には同志がいた。「一緒にがんばっぺね」。飾らない言葉がうれしかった。


 震災直後に届けてもらった池田先生のエッセーも何度も読んだ。


 「逃げたくなることもある。でも、雪柳は動かない。雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている。頑張り抜いたから、みんなのほうから『きれいだねぇ』と来てくれる」


 自分も雪柳のように生きてみよう。そうすれば、いつかきっと……。同志の真心と師の励ましが、冷えた心を少しずつ温めてくれた。


 月日を重ねたある日、ふと思った。


 大病と震災を越え、私が生きているのは奇跡のようなもの。皆に支えてもらったから生きていられる。だから、私も誰かのために――。


 震災の前年、〝がん仲間〟と「つくしん帽の会」を発足していた。治療の副作用で頭髪が抜ける悩みを和らげるため、手縫いの帽子を病院に寄贈する会。震災後しばらくして、その活動を再開した。


 津波被害が大きかった地元では、地域で支え合う住民交流会が開かれる。率先して参加するようにした。得意の手芸や小物作りを披露すると、「ウメちゃん、さすが!」と声が飛ぶ。

同志と会えば自然と笑顔が咲く

 誰かのために、との思いが自分の人生を豊かにしてくれる。先日は悩みを抱える友に仏法対話をしてきた。別れ際に友は満面の笑みを見せてくれた。


 震災から9年半。きょうも佐々木さんは腕時計に語り掛ける。


 「お父さん、私、頑張っていますよ。だから、いつまでも見守ってくださいね」


(聖教新聞 2020年9月11日付)